あとがき―静脈としての俳句―

この連載には本当は別の名前があった。それは「静脈としての俳句」というものである。百句鑑賞であることがわかりにくいので結局この名前はやめたが、各回を書いている僕の意識のなかではこの名前が常に添えられていた。「静脈としての俳句」と名付けたのは、冨田拓也の「百句晶晶」を「動脈としての俳句」―いわば俳句表現史を織りなす俳句として見立て、その対極に自分の連載を構想しようとしたためである。

この「静脈」にはもう一つの意味もある。野田真外の監督した映像作品「東京静脈」からのイメージである。同時公開された松宏彰監督の「東京スキャナー」が空撮によってエキサイティングな東京の姿を映したのに対し、神田川を流れる船の上から東京の風景を映し出したこの作品は静謐さを湛えている。僕はこの静謐さのなかでこそ「俳句」と向きあいたいと思った。

この連載を終えるにあたってもう一言だけつけ加えておきたい。というのも、僕は百叢一句の「まえがき」で次のように書いているからだ。

僕がとりあげるのは各種のサークル、あるいは人と人とのつながりのなかでつくられた俳句である。より具体的に言えば、僕がとりあげるのは職場や療養所などで行われる句会の記念句集や合同句集の、あるいはそのなかで生まれた個人句集の類であり、したがってそのほとんどが無名の書き手による句になるはずだ。僕はいわゆる「俳句史」に登場する人物の句をとりあげるつもりもなければ、埋もれてしまったすぐれた書き手を再発見するつもりもない。

百叢一句はもともと、「俳句表現史」として「俳句史」を記述する方法への疑念からスタートしたものであった。その意識はこの二年余りの連載の間変えたつもりはなかったが、結果としてとりあげるものが必ずしも「記念句集や合同句集の、あるいはそのなかで生まれた個人句集の類」ではなくなっていったのも事実である。これは、ひとつには僕の手元にそうした句集があまりないとか、そうした句集にアクセスする時間的余裕がないとかいった現実的な理由によるものだった。しかしながら、それでもこうした句集を探そうとするうちに僕はある当たり前の事実に気づかされることになった。

それは、俳句はいつも句集に書いてあるとは限らないということである。百叢一句でとりあげた本は決して高価なものではない。それどころか、僕はたいてい、古本屋の店先のワゴンに百円均一で売られているような本のなかから探すようにしていた。なかには図書館で借りてきたものもなくはないが、基本的には百~五百円程度で入手したものがほとんどである。そうした古本を探しているなかで、僕はエッセイ集や雑学本のようなもののなかに俳句が挿し込まれていることに気がついた。これは当たり前といえば当たり前の話なのだが、俳句が一般にはそのように流通しているものでもあるということを僕は忘れていたのである。そういえば、僕たちはこれまで虚子や誓子の句に句集や俳句雑誌でのみ出会ってきたわけではない。句集や俳句雑誌を介して俳句を読むということは、むしろかなり特殊な行為ではなかったか。

結果として百叢一句は、僕たちに俳句がどのように届けられるものであるのかを問うものにもなっていったように思う。それだけに、すでに届けられていたにもかかわらず作者が死ぬまで僕がほとんど手を付けなかった『革命前夜』(澤田和弥)に対する思いは複雑である。

それから、この連載で本当はとりあげたかったが、とりあげられなかったものもある。少し心残りなので思いつくままにここに列挙してみたい。マンガ「ちびまる子ちゃん」に登場する俳句、マンガ雑誌「コミック乱」の表紙にときたま書かれる俳句、お~いお茶の「新俳句」、眉村卓の俳句、下田実花の俳句、Perfumeの「575」、雑誌『キング』のはしばしに見られる俳句、永井荷風の俳句、齋藤慎爾の「巻頭句の女」、「黄昏流星群」の俳句…などなど、数えあげればきりがない。僕のもう一つの「百叢一句」である。