【95】  人体は土より生れり霜の花   高野ムツオ

現実のあらゆる事象には、それぞれにおける固有の物語が潜んでいる。少し言い方を変えるならば、すべての事象は長大な時間を背負っており、その各々に来歴があるということになる。改めて考えてみれば、それこそ道ばたに転がっている石ころ一つを取ってみても、まさに気の遠くなる程の時間の堆積の果てに存在しているという事実に思い至るであろう。そして、それと同じく我々自身の存在もまた膨大な時間と数え切れないプロセスを経て、この現在に存在しているということになる。

掲句は、第二句集『鳥柱』収載のものであるが、ここには「人体」の存在とその成り立ちが表現されている。中七は「成れり」ではなく「生れり」。そもそも元を辿れば、人間の存在というものは、地球上の様々な動植物の数え切れない生滅の連鎖の上に成り立っているわけであり、それゆえこの「土より生れり」という表現も、決して単なるフィクションではないことが理解できるであろう。そして、その「人体」もやがて「土」へと還ってゆくわけであるから、ここにはまさに生命における本然的な部分がテーマとして描かれているということになる。

下五には「霜の花」という冬の季語が配されているが、この言葉は基本的に「霜」のことをそのまま意味する。冬の季節において、「人体」から発せられる呼気は、冷たい外気との温度差によって白く見える。まさに生命そのものが内包している熱ゆえに起こる現象であるが、よく考えてみれば、そもそも「霜の花」の降りている大地にしても、その奥底には高熱のマグマが潜んでいるということになる。このように見ると、それこそ「人体」の存在と地球の内なるマグマは、そのまま相関の関係を成しているようにさえ思われてくるところがある。

高野ムツオには、東北の風土性に根差した作品が多く見られる。例えば〈雨の奥羽に妻も一枚の葉であるか〉〈陸奥の国襤褸の中に星座組み〉〈阿弖流為の髭より冬の蝗跳ぶ〉〈霜の声つづいて悪路王の声〉〈海鳴の凝りたりしが陸奥の国〉〈みちのくはもとより壺中初茜〉など、強い土着性を見て取ることができよう。全体的にフィクション性が強い側面があるが、一方で実世界との関わりが断たれているわけではなく、云うならば現実と空想的な物語性が混淆されて作品世界が展開されている。このように見ると、高野ムツオの俳句には、リアリズムの要素が少なからず内包されているといっていいであろう。

そして、こういった作家性は、平成二三年(二〇一一)の東日本大震災に際して〈車にも仰臥という死春の月〉〈泥かぶるたびに角組み光る蘆〉〈瓦礫みな人間のもの犬ふぐり〉〈残りしは西日の土間と放射能〉〈原子炉の火もあえぎおり秋夕焼〉〈凍星や孤立無援にして無数〉など、極めて迫真性の強い表現として現出する結果となった。

高野ムツオ(たかの むつお)は、昭和22年(1947)、宮城県生まれ。昭和38年(1963)、阿部みどり女の「駒草」に投句。昭和42年(1967)、「海程」入会。昭和53年(1978)、佐藤鬼房を訪ねる。昭和60年(1985)、「小熊座」創刊。昭和62年(1987)、第1句集『陽炎の家』。平成5年(1993)、第2句集『鳥柱』。平成8年(1996)、第3句集『雲雀の血』。平成15年(2003)、第4句集『蟲の王』。