1990.2 沖積舎刊行
『原石鼎全句集』より。
僕がいる結社に入ると句会のために鎌倉へ行くことが多くなります。昔は江ノ島でも句会があったりもしたので、もう何度も何度も鎌倉や江ノ島に行っています。
土日の鎌倉と言ったらそれはそれは混んでいます。小町通りなんか人の頭しか見えません。
どこに行ってもひどく混んでいるので、神社内の人が来ない石の上とかで、じっとしていることが増えてきました。
鎌倉なんて良いじゃん、最高じゃん。
なんていうのは最初の数年ぐらいしか思いませんでした。あとはだいたい、あー、どこも混んでいるし、料理の値段も高いし、喫茶店は満員だし、どうしよっかなぁ。
良いや、石の上で、ここ、人来ないし。
となります。
多分、みんなそうかなと思っています。聞いてみたことはないけれど。平日行くと、とても楽しいですけどね、鎌倉。
石鼎の二回目です。まだまだ知っている句ばかりかなと。
花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月
恐れず行けよ。
高々と蝶こゆる谷の深さかな
風の谷の方はナウシカ。
やま人と蜂戦へるけなげかな
負けたら刺される。
梅雨の水ひびき流るる山路かな
深い山路感。ひびき流るる、と感じとるところが石鼎らしい。
提灯を蛍が襲ふ谷を来(きた)り
蛍が襲うという表記の怖さ。尋常ではない鋭い神経ではないと、このように感じ、詠むことは出来ない。
山風の谷へ火ながき蛍かな
ツーッと、力強く。
月さすや谷をさまよふ蛍どち
石鼎の蛍は、フワフワした可愛いらしいもの、という感じがしない。なんだかこの世のものでないような迫力がある。本当の、真っ暗な夜が来る場所でないと、蛍をそのように感じることは出来ないのかもしれない。椿山荘の蛍、そんなんじゃないもの。
谷の辺に小さき厠や夏の月
虫に刺されそうな、厠。
山の色釣り上げし鮎に動くかな
大好きな句。ここも、どこも、世界は不思議で鮮やか。
蛇踏みし心いつまで青芒
靴下と、靴をもう替えたい、風呂に入りたい。
向日葵や腹減れば炊くひとり者
読んで字の如く、自炊。
大学時代の先生が、ヘルダーリンとかシェリーとかエックハルトとかを教えてくれました。
それらは僕の本棚で眠っているけど、先生の「狂気のない芸術がありますか」との言葉は時々思い出します。
じゃ
ばーい