1990.2 沖積舎刊行
『原石鼎全句集』より。
二ヶ月に一回ある、激しい飲み会のある句会があり、今回もやはりふらふらで帰ってきました。
もうほとんど何の記憶もない状態で、最低な二日酔いとともに目が覚めます。ちょうど妻が実家に帰っている時だったのですが、ちゃんと自分で定期は定期入れに置いて、上着、靴下ズボンは脱ぎ、携帯は机の上にありました。暑かったのか窓も開いていました。
人間ってのは、本能だけで結構動けるもんだなぁと。酔わないようにウコンの高いやつを買ったはずだけど、見当たらない。多分、飲んだんだろうなと。
石鼎の昭和九年より。
その中の緑の船や松飾
よく目立つ、緑。
ゆらゆらと大満月や春の雪
月の生命感がちょっと不気味。
老雁は聖のごとく去ににけり
さらばじゃ的な。
昨日よりけふ濃く見ゆる桜かな
そんな気が。
黄色とてかくまで黄なる梅雨の月
これもちょっと不気味。生きにくいのかもしれないけれど、繊細さは詩歌には有効な力となる。
細長の大き鏡や妻の秋
珍しい素敵な下五。秋の人、ならたまに見ますが。
落葉掃いて水まいてそこら澄みにけり
やり終えた清々しさが澄みにけり。「そこら」のいい加減なところもちょっと面白い。
昭和十年
山門前の大筍でありにけり
でかい、でも食べれなそう。
この人にすこし重たきスキーかな
スキーは滑る時以外、色々重たい。スキー、やったことないけど。
じゃ
ばーい