2014年12月20日

ストーブの火の煌煌と守衛室

即ち音が上がってから下がるまでの一続きが一つのまとまった内容を持っていることを伝えているのである。「すごく」云々の例で言えば「すごく」から「こと」までが一続きであると理解される。
さて「高高……」となる箇所が間に挟まるとすると、出だしは「低高高……」という型にした方が接続が容易である(東京式アクセントでは第一音節が低ならば次は必ず高、第一音節が高ならば次は必ず低になる)。そこで平板型の語形が多くなったのではないかと思うのである。
特段若者言葉を使っているわけではない友人でも、「何故(なぜ)にこんなことになったのか」という文の「何故に」を「低高高」として「に」で下がるような話し方をしていたりする。わたくしの話し方ならば「何故に(高低低)こんなことに(低高高 高高低)なったのか(高低低低)」となるところである。
因みに外来語が片仮名語として日本語に定着すると多く平板型アクセントになると教わったことがある(e.g.ピアノ、ボール(球)、アドレス、アリバイ)が、それに当てはまらないものも同じくらい思いつく(e.g. テニス、テレビ、システム、メカニズム)ので、怪しげな説である。略語が平板型アクセントになることは経験に照らしても首肯できる(e.g. ケータイ、エアコン、スマホ、デジカメ、ポケモン)。例外はあるが(e.g. 自己中、午後ティー)こちらは何となく法則化できそうな気配がする。