2016年6月26日

五月雨やきみはひそひそ声が下手

20160626

去年、弟が俳句甲子園に出場した帰宅後の祝勝会の様子。ポークソテーとふかしたじゃがいもを庭で採れたバジルのジェノバソースで和えたもの。ポークソテーは父が、ジェノバソースは母が作り、わたしはフランスパンを切っただけ。犬がおこぼれを狙っている。ひとり暮らしをはじめ、弟も実家を離れ、いま、両親と弟との家族4人で囲む食事のたのしさを思う。
家族以外のだれかと美術館や博物館や水族館や陶器市などを観るとき、なんだかくすぐったく思う。だって展示を見る間のあなたのひそひそ声はなんだかほんとうに、ひそひそ、という感じでおかしいんだもの。内緒話みたい、と思いながらくつくつ笑ってしまう。そう思えば家族で展示を見るたびに、家族で何か秘密を共有したようなきもちになっていたかもしれない。いつも家族で周ってばかりいたので、いい展示に巡り合うとたいてい、ああ、ここ家族でもまた来たいな、と思う。ひとり暮らしをはじめてから家族にも見せたいな、食べさせたいな、連れてきたいな、と思うことが多い。家族愛がそこまで強いほうだとは思っていなかったので自分でも驚く。離れて気づくありがたさとはこのことか。

工藤家には特に家訓みたいなものはない。門限もない(が、わたしも弟もよい子どもなのでなるべく両親の機嫌を損ねない時間に帰る)。家訓はないが格言みたいなものはあって、それは「買う前に三度悩め」そして「作れるものは自分で作れ」である。

父は週末になるとよく料理を作る。和、洋、中、なんでもやるし、かなり凝ったものをつくる。手前味噌だがその出来栄えはなかなかのもので、特にパスタは適当なお店よりずっとおいしい。そのせいか母はいつも自分のことを「料理下手」だというが、わたしはどれだけ忙しく疲れて帰ってきても出来合いの惣菜や冷凍食品を夕飯に並べることなく温かい食事を作り続けた母の姿を見ている。わたしは母の作る茶碗蒸しが大好きだし、たまに仙台に帰るときに持たせてもらうおにぎりを齧ると勝手に泣きそうになってしまう。「どうしてそんなに料理好きに育ったのかねえ」といつも母は不思議がるけれど、両親あってのこの娘だ、と胸を張って言える。菜箸を握るのが楽しいと思えることは、きっとすこやかに生きていくうえで武器になると信じている。