2016年8月6日

大山(おほやま)や野(のぎく)に風(かぜ)の吹(ふ)き疲(つか)

大学四年生の夏、僕と同じ下宿屋の斜め前の部屋にいた住人が首を吊ったことがあった。彼は僕と同じ大学四年生で、就職活動に失敗したことが原因だったらしい。僕は大学院に進むために就職活動をしなかったけれど周囲から取り残されていく恐怖は少なからず味わっていて、彼の生きかたに共感するところもあっただけに、彼の死のショックは大きかった。誰の死もそうなのかもしれないけれど、僕にとって彼の死はあまりに唐突であり、それゆえ僕の生もまたあまりに唐突に自覚せざるをえなかった。なぜ彼が死に、僕が生きているのか、そう問い直すたびにいまでも暗澹たる思いになる。
ところで、僕が彼の名を名字でしか知らないことに気づいたのは、ごく最近のことである。彼の存在はその死から十年余りたった今でも大きいが、その彼を思い起こす言葉が、彼の名の断片でしかなかったという事実は、僕の生のありようをいっそう頼りないものに思わせた。