2016年8月18日

大倉(おほくら)を漏(も)れ出(で)る蝶(てふ)や白(しろ)き蝶(てふ)

ヤフージャパンのニュースを眺めていたら、POLAの「この国は、女性にとって発展途上国だ」というCMへの共感が相次いでいる、という話題がとりあげられていた。気になって当のPOLAのCMを見てみたが、むしろ気になったのはニュースでとりあげられていたのとは別のCMだった。
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=pola+%E6%9A%97%E3%81%84&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
女性が仕事をし母になるにつれていつのまにかファーストネームで呼ばれなくなるという現状をとらえたうえで、ファーストネームで呼ばれることによる心身への好影響を提示するという内容であった。
そう考えると、句会という場はファーストネームで呼び合うという点でやや非日常的な場である。句会でファーストネームを呼ばれることに喜びを見出していた女性の話は以前スピカに書いた(http://spica819.main.jp/100soikku/10681.html)。僕は句会に参加した経験があまりないけれど、披講・点盛り・講評が済み、作者名を問われたときにファーストネームで名乗ることがどうしてもできない。僕は、だから必ず名字で名乗ることにしているし、また、句会において相手をファーストネームで呼ぶこともない。
これは僕の傲慢であろうか。しかし、本当のことを言えば、僕は僕自身や相手をファーストネームで呼んでしまったら、なんだか嘘をついているような気がするのだ。だって僕は僕を「僕」と呼ぶことはあっても、ファーストネームで呼ぶことも考えることもしてこなかったから。そして、あなたのことをファーストネームで考えることもしてこなかったから。