2016年8月23日

朝川(あさかは)に吹(ふ)かれてをりぬ畳(たたみ)の毛(け)

兄とは二つ年が離れていて、小学生のころはよく遊んでいたけれど、お互いが中学生になってからはなんとなくお互いに距離をとるようになってしまった。兄と僕とは二人で一つの部屋を与えられていたが、夜になると兄が大音量で音楽をかけるので僕はなるべく早く寝るようにし、家族の寝た三時頃になると起きだすという生活をするようになった。おかげで僕はどんなにうるさい状況でも眠れるようになったが、この習慣は十数年たっても抜けず、午後十時を越えて起き続けることはいまでも困難である。それから、高校生になって僕は俳句を書くようになったけれど、そのほとんどは午前三時から夜明けにかけての時間にベッドのなかで書いていた。僕の俳句が何となく暗いのは、僕がこの時間帯にしか書く時間を持たなかったということが影響しているのかもしれない。
この兄との関係を考えるうえで最も象徴的な出来事があったのは、ちょうど、その高校生のころである。兄と僕とは互いに言葉を交わすこともなくなっていたが、そのときだけは、兄はどうしても僕の名を呼び、僕を呼びとめねばならなかったのだろう。このきわめて例外的な瞬間に立ち至って、ついに兄は僕を「おい、きみ」と呼んだ。僕の下の名前を呼ぶことはどうしてもできなかったらしい。僕は驚いたが、これが兄の悩んだ末の呼称であったろうことはよくわかったし、たとえ咄嗟の出来事であったにせよ兄と僕とが自分の感情を見せ合うことは「らしく」ないようにも思われ、僕はなるべくそっけない返事をした。僕が誰かから「きみ」と呼びかけられたのはこのときだけである。