2016年8月27日

かくれあふぬいぐるみこそ都谷(みやこだに)

群馬県に「上毛かるた」のあることは、群馬県民なら誰もが知っている。これは群馬の文化や地理などをモチーフにしたかるたで、僕もまた、遊びながら群馬について自然と学んだものである。なかには郷土出身の有名人の札もあるが、漠然と山や町が描かれている札よりも人物画の描かれた札のほうが目立つので、目の前に撒かれた札の位置を把握する際にはこの有名人の札の位置を目安にしていた。
上毛かるたに出てくる有名人は、新田義貞、内村鑑三、新島襄、田山花袋、船津伝次平衛、塩原太助、関孝和、磔茂左衛門といったところで、歴史の教科書ではどちらかというと脇役としてその名が記されている人物ばかりである。しかし上毛かるたで遊んだ子ども時分の僕にそんなことがわかるはずもなく、いずれもきわめて著名な人物なのだろうと疑わなかった。とくに新田義貞は「れ」の札で「歴史に名高い新田義貞」とまで記されているし、一人だけ甲冑姿なので恰好も良いし、だからよほどの人物にちがいないと思っていたのである。それが教科書では敗者の側に分類され、足利尊氏や楠正成の華々しい活躍の裏で朝敵のように扱われていたことを知ったときは、殊のほか寂しかった。
上毛かるたにはどうもこうした、いわば二番手の悲しみが漂っているような気がする。そういえば「す」の札で「裾野は長し赤城山」として登場する赤城山には、噴火さえしなければ富士山よりも標高があったはずなのだ、という噂があって、本当かどうかわからないが、僕の周りの大人はこれを信じていた。だから僕には、「裾野『は』長し」という褒めかたに、ついに一番になることのできなかった赤城山への屈折した敬意が込められているように思われてならないのである。