2016年12月8日

痩せ猫の擦り寄る十二月八日

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実家の母は広島の原爆を、疎開先の広島の島から見たそうだ。
小学校1年ぐらいだったから、感想はキラキラして「とても綺麗だった」だそう。
この島に私は高校生ぐらいのときに遊びにいった。
そのころまで疎開していた家を祖父は残していたので
一度見せておきたいという両親の思いだったのだと思う。
その海はそのころでも綺麗で、かなり深いのだが底まで透けて見える。
そのとき母から水母にさされないように沖へ放り投げるという技を教えてもらった。
何の役にもたたないとは思うのだが。

そして私の今の本名は沖縄の名前である。
夫の祖父が戦争前に本土の大学にきたのですでに沖縄に縁者はいない。
但しかなり沖縄らしい名前らしく、
娘は仕事で沖縄のラジオに出たときには、その名前だけで1時間番組が持ったそう。
娘曰く、生まれてはじめてこの苗字が役に立ったと感じたそうだ。
何しろ画数が多いのでテストに名前を書いている隣で
友人たちはもう問題を解いているとよく言われたものだった。
小さなきっかけで、小さな話題が繋がる、そんな話。