2017年1月8日

原発の湾に真向い卵飲む

詩型のデフォルマシオン乃至は詩語の絢爛さが織りなす一種の絵画的効果は、詩の科学とは殆んどかかわるところがない。それは何か別の意味を持っていたが、本質的には、詩が音楽にもたれかかっている安易さとなんら撰ぶところがなかった。詩という常套的レトリックに対して、新しい方法を提示しようとした詩の前衛運動も、型式の飛躍や変化や歪みにではなく、詩精神の内側にある絵画の科学を意識するまでには到っていない。詩の内部にある絵画は「描く」精神よりもむしろ批評の精神に通じるのだ。  小野十三郎『詩論』52