2017年1月10日2016年12月30日 2017年1月10日 我と鉄反れる角度を異にして 趣味的なものは、それがどんなに洗練されていても散文である。詩人は散文を軽蔑する。しかし自分の趣味を決して散文だとは思っていない。 小野十三郎『詩論』62