2017年2月1日

コンピュータゲームのきつねですか?ぴかぴか

インターネットを見ていたらある著名な演出家(まだ若い)の学生時代の写真が出てきた。
ちょっと恥ずかしいなぁって感じのやつ。
わたしは結構ネットストーカー能力が高いので、発見してやろう!と思うと大体のものを検索して見つけられる。

ネット検索も、何かを書くということも、常に「思い出す」行為の中で行われていると思う。
例えば、わたしたちが野生のきつねを見たときには自然なうつくしさにはじめは圧倒されるかもしれないが、次第に違うきつねの像が浮かんでくるのではないかと思うのだ。動物園のきつね、アニメのきつね、新美南吉のきつね、どれも君が今まで見てきたきつねの像だ。フィルターを重ね合わせるようにして、無意識にむかしを通して今を見ている。

自分のことをエセ吟行派(※吟行とは俳句を作るために遠出をすること)だと思っている理由はいくつかあって、机上派ではないこと、電車の中で俳句をつくること、街で結構俳句ができることがある。自然の景色をわざわざ見にいくのもいいけれど、街を歩くだけで、例えば電車でイヤホンに息を吹きかけてから音楽を聴いている人を見たら、何かその営みのようなものから詩が生まれるんじゃないかって思う。

君が死んだって街はちっとも変わらないのかもしれないけれど、待ち合わせをした駅や何度も行ったラーメン屋を目にしたら、少しだけ景色が褪せてしまったように思うのかもしれない。できるだけたくさんの街の思い出を今が褪せないうちにいっぱいつくろう。そして、紐をたぐり寄せるようにして書こう。

こんな感じで、一ヶ月間のおもいだしの旅におつき合いいただけたらと思います。

リリカ