2017年2月18日

ヒヤシンス不器用に生まれてしまつて

回り道をしながら生きている気がする。
人の顔色を伺うことが苦手で自分が違うと思ったことは違うと譲ることができない。
高校の頃も先生の顔色をうかがったり、クラスの友だちの会話に合わすことが苦手だった。EXILEの音楽なんて聴かないし、全然いいとも思わなかった。

成人式の時に改造自動車を乗り回すちょいワルな同級生が「おれらはイケダがおらんかったら、こんな風に考えることもなかったにゃぁ」と言っていた。イケダ、というのは中学の担任の先生だ。
中学生の時、これから社会に出るまでどんどん人を信じられなくなるかもしれないが、お互いのことを信じられる今を実感してほしい、と言って思いを語る会をクラスで開いた。

高校の時に、公立中学は荒れているという偏見で非行するやつはダメな人間だとレッテルを押すかのような言い方を同級生にされた。家庭環境や原因があるだろうと言ったが、彼女は一切聞く耳を持たなかった。

思想を持つことを先生は教えてくれたよな、って成人式の時に話した。自分とは何者なのかを考える大切さをその時に学んだと思う。私が興味のある俳句や書くことに彼らの関心はないが、それでも通じ合えたのがなんだか嬉しかった。