2017年2月25日

はるぞらをぬかるみにゐる何処でもない

カナダに住むおばさんのことを、のりこちゃんと呼んでいる。いとこは健太郎なので、ケンと呼ぶ。
のりこちゃんといわゆるバケーションというやつをして、海で泳いだり、パラソルの下で横になって本を読んだり、カトリックの教会に行ってお祈りしたりと、メキシコで1週間を過ごした。ちなみに、のりこちゃんは4か国語くらい喋れるので、旅先でもスペイン語無双だ。旅のことで今でも忘れられないのが、コーヒーとフルーツの味である。これが格別においしかった。毎朝新鮮なフルーツとコーヒーが提供され、メキシコで飲んだコーヒーを越えるものはなかなか現れない。

カナダは比較的アジア人が多かったけれど、メキシコまで行くとほとんどいない。のりこちゃんは大好きなキューバミュージックが流れると踊りだすし、気になることがあればなんでもスペイン語で質問してしまう。気に入らないことは気に入らないときっぱり言う。はっきりとした性格なので、実のお母さんとなかなかいい関係が築けず、見ただけですぐに喧嘩になってしまったが、お母さんが亡くなる前に分かり合えることができたと話してくれた。メキシコは18才からお酒が飲めるので、「ダイキリはチェ・ゲバラがカストロと飲み交わしたお酒よ」と二つテーブルに届けられたグラスで乾杯をした。「うまくいかないこともいつか分かり合える日が来るのよ」とのりこちゃんは教えてくれた。

100円ショップでけん玉を買ってみたり、絵を描いてみたりする。家系ラーメンを思いついたように食べる。コーラを飲む。音楽を聴く、本を読む。会話する。特売キャベツを買う。チーズを食べる。やかんを磨く。人が死ななくても、人を殺さなくても、大きな事件が起きなくても、何も言わなくても、人は日常で何かしらを感じることができるのではないかと最近演劇で考えている。それは、私がどこにでもあることばで俳句を書こうとする点と似ているのかもしれない。日常にはわかりあえないとわかりあえるがあふれている。

・牛乳を飲む動き→牛乳を飲んで朝学校に行く習慣がナチュラルにある。なんだこれと思う。
・鞄を持って歩く動き→同じような服装で昨日のテレビの話をしながら同じ方向に向かう歩道橋の学生
の列が、気持ち悪いなって思う。
・靴ひもを結ぶ動き→意外と下しか見てないことに気づきちょっと顔を上げてみる。
・電話をかける動き→1、1、9、の順番でボタンの上を指が這ったことがない。

こんな風に日常を考えている。