2017年3月9日

春夕焼遺書に楽しきときのこと

小学校三年の頃いじめに悩まされていた。理由は全くわからない。
主犯格二人に毎休み時間ごとに、囃し立てられたり、小突かれたりしていた。周りの人間は暇なときに参加するか、中立だった。
ある日私が耐えきれなくなって、主犯の二人に掴みかかると、奴らは待ちかねたように「西川がキレた」と言ってはしゃぎ回り、私を囲む数人が、「暴力はいけない」と私を押さえつけ、そのまま主犯に差し出した。主犯は「ブンザイ、ブンザイ(おそらく西川の分際での意)」と連呼し、暴力に打って出た私をなじって徹底的に貶めた。
当時はそんな現状を何とかしようと、何度か自殺に挑戦したが、直前で怖くなって一度も成功しなかった。しかし自由帳には結構な数の遺書を書いていて、そちらの方は自分でも驚くほど上達した。

その後さらにいじめはひどくなり、私はついに両親にいじめの全貌を告白した。そこからは早かった。両親が学校に乗り込んで話をつけ、教師が動き、主犯二人の謝罪を以って、件のいじめは一応の幕引きとなった。そしてその後、主犯とは二度と同じクラスになることはなかった。
私は自分の力では何一つ解決できなかったことが悔しく、惨めで、自己嫌悪に陥った。他にどうすることもできなかったし、今では賢明な判断だったと思うが、少なからず人格形成には影響していると思う。

いじめは被害者より加害者が絶対的に多数となる犯罪で、その中での中立の本質は、強い方(加害者)への白紙委任である。私が今も憎んでいるのは、主犯はもちろんだが、全く断罪されることがなかった中立の人間である。全員が旗幟鮮明にすることなどできるはずもないが、いじめの最中、悪びれることなく中立を名乗る人間にはせめて「恥を知れ」と思ってしまうのである。