2017年3月18日

いつまでも捨て続けたる春の水

飛び込み営業はやはり厳しく、大抵追い返されるか、手酷く追い返されるかだった。
心を無にして飛び込めば訪問件数は稼げるのだが、それだと、だんだん件数をこなすことが目的にすり替わってしまって、なかなか成果は上がらなかった。その度、事務所に遅くまで残って、どうすれば結果がでるのか考えなければならなかったが、上司に提出した改善案は「もっと長時間営業にでる」という、全く救いようのないものだった。そして、その案は認められた。
他の同期も似たり寄ったりで、上から厳しく詰められて、辞めていくものが増え始めた。
しかし、上手く行っているのが一人いて、彼は「俺は飛び込みは絶対にしない」と常々言っていた。たまに社内携帯で連絡を取ると、よくコツなどを話してくれた。彼が言うには、昼間はアポどりかサボりに使って、午後からアポの入っている見込み客と商談して、収穫できそうなものは収穫し、新規の客も紹介してもらうということだった。
「すごいな、違う会社みたいや」というのが私の素直な感想だった。

研修中、彼は初任給を全額使って、タグ・ホイヤーを買ってきたのだが、我々が「いらんやろ、無駄やろ、どんな使い方やねん」と笑う中、「これが俺とお前らの差やな」と面白がって言ってのけた。そういう男だった。

私は訪問数にもノルマが設定されていたから、彼の方法を採ることはできなかった、というのはただの言い訳で、本当はその頃にはもう、何かを一から試すような気力は残っていなかった。今からみれば、いくらでもやりようはあるようなことでも、当時はなす術がなかった。気持ちが凹んだまま戻らないような感覚だった。そして、サボりがちになってしまった。同じような境遇の同期と「脳内マップの見込み客を訪問して全部に断られたから今日の仕事はお終い」などというようになってしまった。
こんな状態で会社に居続けることなどできず、こうして私は一番最初の会社を辞めた。冬になる前のことだった。

スピカ_綿菓子日記0318.txt