2017年3月19日

韮の束洗ふ同棲最後の日

昨日の更新分はうまく当時のことを消化しきれなかった気がして、実は差し替えをお願いしようと何度か書き直しを試みていた。つまり少し体裁を整えようとしたのだが、実際の顛末自体、多少言い訳を増やせるとしても、あれ以上でも以下でもなく、どう取り繕っても、私は限界まで頑張って辞めたのではなく、頑張ることができなくて辞めた人間だった。もちろん自分ではそのことを知っていたはずだが、改めて文章にして眼前に突きつけられてしまうと、その後の転職活動で感じたのと同じ劣等感がじわりと広がり苦しかった。

二つ目の仕事は考えることをあまり必要としない仕事で、駅でゴミを拾ったり、酔っ払いを起こしたり片付けたり、道案内をしたりして過ごしていた。体を動かすことが多くて、私は急速に健康になっていったし、営業職では多少ズルい営業トークを駆使せねばならなかったのが、ここではひたすら正直にいられた。冬の日差しが暖かくて仕事をしながらずっと日光浴をしていたこともあった。時折は欠員補充でしばらく家に帰れないこともあったが、基本的にはシフト通りの勤務で、超過勤務手当も出た。無職時代にほとんど切り崩してしまった貯金も徐々に回復してきた。
同棲中の彼女は私と休日が重なると、「これから植物園に行って高校生のようなキスをしよう」などと言って、外に連れ出してくれた。多分、私は気持ちがかなり参っていたようで、それがだんだんと、元に戻っていくのを感じていた。

一旦精神の健康を取り戻してみると、これまで気にならなかったことに却って傷ついてしまうことが増えてきた。不機嫌な酔っ払いが私に向けて言い放つ「底辺」という言葉は、はっきり言って特に堪えた。

しかし、それでも自棄にならずに済んだのは、仕事自体、誰の害にもならず、人の役に立つことに終始できていたことに加え、彼女が私の仕事を全く意に介さずにいてくれたことが大きかった。