2017年3月20日

いつまでも春の国土をくべてをり

二つ目の仕事に就いたのは丁度リーマンショックの影響が長引いて失業者が大量に出ていた時期で、同期入社の仲間は年齢も事情もばらばらだが、やむなくこの会社に流れ着いた者ばかりだった。ここでも同期とは非常に上手く関係を築くことができて、いろんな面で助け合うことができた。しかし、この仕事はどうしても見くびられ軽んじられることが多く、実際そういった扱いを受けることが度々あり、悲しく悔しかった。何より私がそんなことを気にすること自体に一番ショックを受けた。

「職業に貴賤なし」というのは、確かにそうなのだろうが、それでも人は簡単に職業で人を値踏みする。酷い者は露骨に態度を変えたりする。私はそういう考えに与したくはないが、その頃、仮に子供がいたとして、その子に私と同じ職業になって欲しいか、私と同じ仕事を勧められるかと考えた時に、それだけは絶対に避けたいと思ってしまったことは事実だった。

私は仕事のおかげで心身ともに健康を取り戻すことができたが、それ故、人前に出ることが怖くなり、急速に俳句の人たちを遠ざけてしまった。しかし、職場自体は居心地が良かったのと、短期間で仕事を辞めるのは、事態がより悪くなるように思えて、転職をする気には中々なれなかった。

考えが変わったのは、これまで得意としてきた記憶力や、語彙力などの言葉に関する能力が大きく衰えてきたように感じたからだった。使わない能力は衰える。当たり前のことだった。とっさに言葉が出ない、単純な計算ができないなどという状況に陥って、このままだと本当に一生この仕事以外できなくなるのではと恐怖した。私は私自身がまだここ以外で使い物になるかどうかを確認するため、そして「一発逆転」の可能性に賭けて、公務員試験に挑戦することを決めた。