2017年3月22日

パイプ椅子並べて春の丘覆ふ

面接は新卒時と転職時とでさんざん失敗してきた一番の鬼門だった。しかし、ここまで来て、諦めるわけにはいかなかった。気の合う仕事仲間とはよく拘束時間の長さもあって「懲役二泊三日」だとか「いつかプリズンブレイクしたいねー」と冗談めかして言っていたが、冗談ではなかった。

6月ごろからまず大学職員試験が始まった。
面接では学生や銀行や一般企業からの転職組と混ざって一緒に面接を受けねばならず、その時点でキャリア上の不利は明らかだったが、怯むわけにはいかなかった。一次面接はグループディスカッション(GD)を採用している大学が多く、控室に集められた私たちは最初互いに牽制しあうような雰囲気だった。しかし昔読んだ谷ユースケのブログで、GDを句会だと思えばいいと書かれていたことと、これまでの職場で同期に恵まれたことを思い出して、私は極めて軽いノリで他の受験生に話し始めた。お互い自分たちがどういう人間か知った方がGDは絶対有利だと力説して回った。結果的に私たちは帰りのバスで「うちのグループは全員合格して二次試験でまた会おう」と約束を交わすくらいの結束を見せ、GDを終えることができた。そして、私は続く集団面接も通過して最終の個人面接に進んだ。

結果だけ先に言うと、最終面接ではほとんど何もアピールできないまま斬って捨てられた。それは他の大学や自治体でも同様で、個人面接は一つも通過することができなかった。面接対策として、公務員面接専門のセミナーを受けもしたが、どうしても社会人数年目として備わって然るべきスキルや説得力が欠けていたのが致命的だった。おそらく来年挑戦しても筆記は通るかもしれないが、年齢を一つ重ねた分の成長となると想像しづらかった。
私は公務員試験に見切りをつけて、民間企業へ転職した。もう一度非正規雇用から始めることになったが、今度は自分の納得のいく転職をすることができた。
今から思えばここで数年気力の回復をはかれたことは無駄ではなかったと言えるかもしれない。

こうして、公務員試験は失敗に終わったが、大きな転機となった。しかし、あそこでもし受かっていればということを、今もたまに考えてしまうのだ。