2017年4月3日

直角三角形の紙片を黄泉の花と

投稿で賞金を稼ぐことが当初の目的だったにもかかわらず、中学生頃までの私は、俳句を作ってはいたものの一度も「投句」ということをしなかった。
先の入門書のほかに楠本健吉著の文庫版の入門書、角川文庫の俳句歳時記(新版)を自らのこづかいで入手し、それらの中に発見した草田男や誓子の句に魅かれる一方で、自分の作品との比較にならないほどの差を感じてもいた。また、その差を少しでも埋める方法をどこにも見つけることができなかった。ただ、それを深刻に思い悩むほど俳句にのめり込んではおらず、何事にもハマりやすく飽きやすい私にとって、俳句は多くの趣味のなかのひとつであるに過ぎなかった。
文庫版の入門書には、楠本健吉が一句に限り添削指導してくれるというチケットがついていた。貴重な機会であるから、もちろん私は応募したいと思ったのであるが、一度きりということで、最高の作品を送らなければと気負いこんでしまった。その入門書にはある大物俳人のエピソードとして次のようなことが書かれていた。
「作った句はすぐに発表せず一年寝かしてから、それでも色あせなかった句だけ発表する。」
一流の俳人がそこまでするのだから、自分のような未熟者は当然そうしなければならないだろうと思った。しかし、中学生にとって一年とは気の遠くなるほどの長さである。結局その添削チケットが文庫本から切り取られることはなかった。