2017年4月6日

窓のない女のゐない蝶の書庫

高校生になった私は、他のいくつかの文化部とかけもちしつつ文藝部に所属していた。
機関紙をつくることになり、私は筒井康隆あたりの影響を受けた実験的な短編小説数編と俳句を数句書いた。そこで、はじめて自分の俳句が活字になり、限られた友人や家族以外の目にも触れることになったのである。
掲載された俳句は「南風がのぞき見ている私小説」にはじまる連作で、やや軽薄な感じのものであったと思う。当時、俵万智の『サラダ記念日』が話題になっており、私も影響されて新しい俳句を作っているつもりになっていたのだろう。
機関紙は全校に配布されたが、反響があったかどうか、ほとんど覚えていない。
ただ、文藝部顧問で当時私が最も尊敬していたO先生が、他の短編小説もどきを褒めてくださった一方で「俳句はいただけない。」とはっきりおっしゃったことを記憶している。
その後、私は俳句を作らなくなってしまったが、あの浮ついた作品群をきちんと否定してくださった先生には心から感謝している。