2017年4月16日

春はあけぼのそろそろあけよ無点句を

句会に参加するだけでは飽き足らず、私はパソコン通信のNifty-Serveで俳句に関する電子会議室を探して参加した。インターネットは普及しておらず、パソコン通信も使用しているのは一部の層に限られていた。俳句に関しては保守的な志向の参加者が多かったが、なかには私の作品や書き込みに興味を示してくれる人もいて、その一人がのちに『虎の夜食』の選と構成と担当する青嶋ひろのであった。私が誘って、彼女も「サムライ」での句会に参加するようになった。
1997年、宮崎斗士氏を中心に「青山俳句工場」が発足し、青嶋や私も参加した。青山のビルの一室で月一回金曜日の夜に集まって行われる徹夜句会で、名称は私の案が採用されたものである。この句会は少しばかり注目を集め、句会報が某社から出版され書店に置かれた。岡山在住だった千野帽子氏はこの句会報を見て興味を持ち、ほぼ毎回上京し参加してくれた。
ところで、青嶋はライターとして「鳩よ!」(マガジンハウス)の俳句特集(1997)を執筆するなど、俳句関連の仕事も行っていた。のちに彼女を中心として入門書『無敵の俳句生活』(ナナ・コーポレートコミュニケーション、2002)が企画、出版されることになり、「俳筋力の会」と名づけられた執筆陣に私も加わった。その後、青嶋が手がけた俳句関連の仕事としては、猫の写真に恋の俳句を取り合わせた『逢いたくなっちゃだめ』(あおば出版、2005)という書籍がある。企画、俳句と写真の選および構成、解説文の執筆を彼女が担当した。この本はある程度売れたようで、続編も出版され、文庫化もされている。こうした仕事を通して彼女の選や構成の能力についてはよく知っていたため、自分の俳句作品を預ける相手として不安はなかった。むしろ自分には難しい「流れのある」構成に期待していた。