2017年4月17日

葉桜や模型の汽車に父母を積み

私は1996年に金子兜太主宰の「海程」へ投句をはじめたのであるが、東京堂書店や紀伊国屋書店に置かれた同誌を毎月購入していたので、会員になったと言えるかどうかは曖昧である。
また、同じ頃「叙情文芸」という雑誌の、三橋敏雄選による俳句投稿欄にも投句していた。「黄落や父を刺さずに二十歳過ぐ」はこの欄に入選したものである。毎日新聞の「今年の十句」に三橋氏がこの句をとりあげてくださったことには非常に驚いた。私は礼状を書いたのだが、すこし生意気な内容だった気がして後悔している。
また、新聞に掲載されたことでこの句を父が知ることになった。当然父には複雑な思いがあったようで、当時の職場に記事を切り抜いて持っていき、同僚に「俺は息子に刺されるようなことをした覚えはない」等と言っていたらしい。この句はあくまでフィクションであると父には伝えたが、他にも父に対してひどい扱いをしている句があるので、潜在的な父性への憎悪のようなものがあるのだろうか。
『虎の夜食』には親族について書いた句が多く存在する。フィクションとは言え「父」や「祖父」などは現実の父、祖父の俤があるような気がする。一方で私には女性のきょうだいがいないので「姉」や「妹」は完全に架空の存在であり、過去のさまざまな文学作品等から引用されたものかもしれない。おそらく最も多いのは「妻」だが、結婚する前の句、たとえば「春風や模様の違ふ妻二人」などは、姉、妹などと同じ系統のものだと思う。ところで『虎の夜食』には「猫」の句も多い。十代の頃猫を飼っており、身近に見てきた動物だからであろう。結婚後の「妻」の句はこれと同じ系統である気がする。つまり、今の私にとって最も身近な生き物が「妻」なのである。