2017年5月5日

夏に入るソックス白き女学生

スカートの丈やら靴下の履き方が日々の一大事という時代が誰にでもある。老人はいきなり老人になったわけではない。と思っても、自分の4倍、5倍もの年齢の人のことなど慮ることができないのが若さというもの。学齢前のことだと思うが、母から隣のおばさんは53歳だと聞いて驚いた。私には53歳の女性が老婆に見えたことをはっきり覚えている。ともあれ、街で見かける女の子たちの屈託のなさが眩しい季節だ。

さて、私が第1句集を出すことになったのは32歳のとき。当時あった牧羊社という出版社の「処女句集シリーズ」なるものに入れてもらったのである。牧羊社は「俳句とエッセイ」という月刊誌を出していて、それは「俳句」「俳句研究」に続く総合誌だった。「俳句研究」は角川書店系ではなく、ずっと前の高柳重信氏が編集していたものである。

この「処女句集シリーズ」も結社推薦だったが、主宰によっては意図をよく理解されていなかったのか、60代以上の人がいたり、年齢にいささかバラつきがあった。このシリーズは第1期56冊の後ずいぶん続いたので、いま中堅として活躍している人たちも結構ここからデビューしている。第1期は月に3冊刊行となり、第1回配本は、「雲母」の金子青銅さんの『満月の蟹』、第2回が鎌倉佐弓さんの『潤』、第3回が「山暦」の谷中隆子さんの『冬椿』だった。谷中さんは大高翔さんのお母さんである。辻桃子、今井聖、星野高士、皆吉司などの名も第1期にある。昭和59年9月、私は『雨の歌』という句集を刊行した。このシリーズを担当したのは山岡喜美子さん。山岡さんは牧羊社に勤めていて、牧羊社が倒産したのちに、ふらんす堂を立ち上げたのである。