町並みの雨にけぶりぬ花は葉に
せっかくの秋田なので、帰りに角館で途中下車をすることに。武家屋敷と桜で有名だが、花にはちょっと遅い時期。人出が落ち着いて却っていいかもしれないが。
さて、仁平勝さんは、最近はにこやかなオジサンに見えるかもしれないが、昔は近寄るのがちょっと怖いくらいピリピリしているところがあった。うっかりしたことは言えない気がして、緊張したものである。何かの会の帰りだったと思うが、仁平さんが声をかけてくれたのか、攝津幸彦さんと数人で新橋に寄ったことがある。大井恒行さんもいたはず。いかにも酒豪風の攝津さんがじつはそうではないことを知った。その頃はもう、肝臓の治療で病院を出たり入ったりしていたと思う。酒の飲み過ぎではなく、子供の頃の集団予防接種の際に針から感染した典型的なB型肝炎だと聞いた。静かな方だと思ったが、体調がよくなかったのかもしれない。結局肝硬変に進行して亡くなった。仁平さんや筑紫磐井さんたちが攝津さんのことを書き続けているように、不思議な魅力をもった人だったのに違いない。宇多喜代子さんはお母様の攝津よしこさんと「草苑」の仲間だったこともあり、攝津さんを若い頃から知っている方だ。よく一緒に遊んだ間柄だそうで、「教祖みたいに祀り上げられているのを本人が知ったら、ホントに驚くと思うわ~」とおっしゃるのである。攝津よしこさんが角川賞を受賞されたのは、私が「俳句」を読むようになってからのことだった。のちに刊行された句集『珈琲館』のカバーには、幸彦さんが遺された絵を使われていてモダンだった。
攝津幸彦さんが亡くなったとき、電話で知らせてきたのは正木ゆう子さんだった。