2017年5月19日

冷房車件のひとを今日は見ず

「沖」で正木さんと共にユニークな存在だったのが中原道夫さんである。デビューはちょっと遅れるけれど第1句集『蕩児』は大きな話題となり、俳壇の蕩児ならぬ寵児となった。広告代理店という時代の先端を行く職場もさることながら、どこかそれまでの俳人のイメージとは違うものをまとっていた。職場句会で福永耕二さんの指導を受けたのが「沖」に入るきっかけとなったのだが、「沖」に新風を吹き込んだと言ってよいのではないか。能村登四郎先生の選を受けているが、本人はむしろ能村先生に刺激を与えたと言っている。

白魚のさかなたること略しけり

縁側欲し春愁の足垂らすべく

天使魚の愛うらおもてそして裏

目隠しの中も眼つむる西瓜割

胃の中の白玉あかり根津谷中

こうしたいささか危うい俳句はとても魅力的だった。俳味や諧謔では片付けられない世界であり、通俗や風俗を持ち込むことでむしろ新しみを感じさせたのであった。

俳句研究賞に応募して授賞には至らなかったけれども、その存在に注目したのが上田五千石氏であり、藤田湘子氏であったと記憶している。五千石氏はことのほかその才能を評価していた。『蕩児』で俳人協会新人賞を受賞したあと、第2句集で瞬く間に本賞を受賞するに至ったのは五千石氏の強烈な後押しがあったからである。

ところで、中原さんといえば和服姿しか知らない人たちが多くなっていると思うが、昔はいつも派手なジャケットに蝶ネクタイだった。通勤もそのスタイルで、しかも寅さんのような大きなトランクを持って毎日同じ車両に乗るので、総武線では有名だったとか。1994年の写真が出てきた。能村研三さんも若い!