2017年5月22日

夕暮れを待たず牡丹の散りにけり

Yさんと再び付き合いが始まり、奥さんもまじえてよく4人でオペラやコンサートへ行った。ネトレプコのことを我々はアンナさんと呼んだ。彼女がアーウィン・シュロットという歌手と結婚してしまい、Yさんはショックを受けていたけれど、シュロットも素晴らしい歌手だった。やがて男の子が生まれ、アンナさんは一挙に太りだした。我々は百年の恋も覚めそう!と言っていたけれど、Yさんは大して気にかける様子もなく、歌がどんどんうまくなっていると感動していた。そんなYさんが、末期の膵臓癌であると判明したのは3年前のこと。既に手術もできないところまで進んでいた。亡くなる半年ほど前、最後に4人で行ったのが東京カルテットの解散記念コンサートだった。よりによってさよならコンサートに、とは思ったのだけれど、Yさんはやつれた様子はなく、それほど病気が進んでいるようにも見えなかった。それが春のことだが、8月にザルツブルク音楽祭へ行くと言い出した。強い痛み止めを使いながらかなり無理をして、奥さんの介助を受けながら出掛けた。公演の際、必ずアンナさんの楽屋まで行っていた彼は、直接お別れが言いたかったに違いない。だが、マネージャーが変わっていたせいもあって、楽屋へ入れてもらえなかったとのこと。それでも行ってよかったと本人は言っていたらしい。その後どんどん痩せてゆき、秋には帰らぬ人となった。葬儀の日、会場にはアンナさんの歌声が流れていた。曲を選んだ奥さんの気持ちがよく分かり、オペラの愛のアリアがなぜかその場に違和感を与えなかった。アンナさんに送られながらYさんは旅立って行った。アンナさんが離婚し、再婚したことも知らない。