2017年5月23日

羅のうしろ姿の目にいまも

今日は俳人協会の春季講座で鷲谷七菜子さんの第一句集『黄炎』について話をする。鷲谷さんの俳句は、初学のころから好きだった。岡本眸さんとともに心魅かれる作品をたくさん作られていた。私が俳句を始めたころはまだ、細見綾子、野澤節子、桂信子といった錚々たる女性俳人が健在だった。鷲谷・岡本のお二人はそのつぎの世代である。鷲谷さんには直接聞いてみたいこともあって、「俳壇」の連載対談に出ていただいた。ひたむきな方で、俳句に対する情熱には圧倒されるばかりだった。鷲谷さんは大正12年、1923年の生まれである。私の父とほぼ同年齢で、岡本眸さんのほうは母と全く同年の生まれである。ということで、その世代の人たちの世代感覚はよく分かる。宇多喜代子さんに言わせれば真面目な人たち。桂信子さんも本当に真面目な人間だったといつもおっしゃる。

あるとき、伊丹市の柿衞文庫の催しで桂信子さんと中村苑子さんが対談をすることになり、宇多さんが私を司会役に指名してくださった。司会などいなくてもお二人でどんどん話は進みそうだったが、「その場にいた、ということが財産になるのよ」というのが宇多さんの言い分。有難いことである。お二人の記憶の確かさには驚くばかりだった。中村さんはもう、関西へ行くのは最後と思われていたようだ。それぞれの俳人にそれぞれの歴史がある。鷲谷さんと岡本さんはご存命だが、お二人とも現役を退かれてしまったのが残念。鷲谷さんは、ずっと以前に断筆を決意された。岡本さんの「朝」は、主宰が実際の活動ができなくなっても結社は続いていて、今年ようやく終刊になった。俳人としての一生をどう締めくくるかはなかなか難しい問題である。

鷲谷さんの俳句は、いざ語るとなると難しい。俳句作品として完璧な句集だが、人生の辛い時期に詠まれたもので、そのころの鷲谷さんの心情を思うとやりきれないものがある。タイトルを「絶望からの出発」とした所以である。