2017年5月28日

梅雨きざすやや辛口の白ワイン

今日は「俳句」の合評鼎談の日。読んだ人から「厳しいですね!!」と言われる。私はふだんの句会と同じようなことを指摘しているだけで、特別のことを言っているつもりはない。中には、俳句にケチをつけられると全人格的に否定されたと思う人がいて困る(男性に多い)。私はその句のことを言っているだけなのだけれど。文法の誤りについてちょっと厳しい言い方をしてしまったかな?と思わないでもなかった上田日差子さんと先日会ったら、彼女のほうから「何も知らなくて恥ずかしい!!」と笑いながら寄ってきた。私も「キツイ言い方をしてゴメンね」ということで落着。その1件は「大きかりける」という表現なのだが、じつは私も昔〈沈む日の大きかりける手毬唄〉なる句を作り、短冊に書いたりしたことも……。ところがあるとき、「大き」は形容動詞なのに形容詞と間違ってカリ活用をさせてしまったことに気付いたのである。言い訳をすると、富安風生の〈初富士の大きかりける汀かな〉を真似たのであるが。こういう失敗というのはいくつかあって、恥をかきながら覚えるのも修行のうちである。
私が書く物について、辛口といわれることがよくある。単に言うべきことは言うという主義のせいなのだけれど、ものごとをいい加減にしておけない、ルーズな人が嫌いというのは確かである。なあなあで人間関係を維持しようとする人が俳壇にも結構いる。しかし、私は馴れ合いやお友達ごっこも嫌いだ。お互いの批判をかわすために仲良しグループを作っておく、といった見え透いたことはしたくない。私の師匠の鷹羽狩行もそうである。酒席で根回しめいたことをするのが嫌いで、その手の付き合いはしなかった。そのために、酒飲み俳人からは疎まれ、意地悪されていたのを私は見てきた。その人たちはほとんどあの世へ行ったけれど。そういう師匠の毅然とした姿勢から学んだことは多い。
FBによく大相撲のことを書くが、相撲の世界で立派だと思ったのは稀勢の里の師匠で先年亡くなった鳴戸親方(元横綱 隆の里)である。稀勢の里に、よその部屋の力士と友達付き合いをすることを禁じたという。対戦するときの気の緩みや馴れ合いを律するためである。勝負師はそのくらいの厳しさが必要であるに違いない。俳人は勝負をするわけではないが、この人には手加減をしておこうか、などと思ってはならないのである。
面と向かってはなかなか言いにくいものだが……。先日、「NHK俳句」を観ていたら、今井聖さんが「新緑」の兼題の入選句に、冷蔵庫から取り出したものを解凍して食べる、というような句を選んでいた。私は卒倒するほど驚いた。冷凍してあったホウレン草や小松菜が解けて新緑になるわけ??そりゃないでしょ?と、よほどLINEで彼に伝えようかと思った。でも、直接話すべきことだと判断。数日前、俳句文学館から駅まで二人で帰ることになったので言おうとしたのだけれど、車が来るとサッと腕を伸ばしてガードしてくれたり、段差があると「アブナイですよ」なんてエスコートしてくれる彼に、つい言い出しそびれた。不覚!フェミニストは得なんだと思いつつ。誰か代わりに言ってくれないかな……。