2017年8月19日

亀の子よてのひら濡らしつつ乾く

―――私と俳句甲子園

私は、高校時代、俳句甲子園とはまったく関わりがなかった。正直、存在すら知らなかった。
そもそも文芸部の存在もあまり認識しておらず、ヤンキーがモテるいわゆる田舎の文化にわりと迎合していた高校生活だった。

高校卒業後進学し上京して、学生句会に出入りするようになると、ほとんどみんな、俳句甲子園経験者だった。戦いを終えたみんなはとても仲良さそうで羨ましかった。
そして、上の世代のひとは、最近の若手は全員俳句甲子園出身、という扱いをするのだった(同世代は私のことを、見かけないやつだな?と思っていたと思う)。たしかにそれは概ね間違っていない、でも全員ではない。私は違う、といちいち言うのも面倒だし、変に主張してるみたいなのもヤだし、と困ってしまうほど、上の世代のひとは、俳句甲子園出身というのを前提とするのだった。
実際、今でも、俳句甲子園出身、と思われていることがとても多い。

間違えられるのがイヤな訳ではない。
ただ、それを前提とするのは、俳句甲子園経験者にとっても非経験者にとっても俳句にとっても、必ずしも良いこととは言えないだろう。結社なんかと違って、高校生のときしか経験できないイベントな訳で、ある種、選べないことな訳で。経験にもいろいろあるよね、なりゆきで全国出場したり、予選敗退もあったりね。メンバーが集まらなかった、というのも経験に入るかな。
経験者であること・非経験者であることが、個人にとって有益なら利用すればいいと思うけれど、外部から全体に適用するのは無理があるなぁって思います。
まぁ、俳句にふれられるのは高校生だけじゃないんだから、視野がせまいね。
そしてそもそも「出身」っていう言い方が、ちょっとヘン。
経験の是非ではなく、扱い方の是非というのでしょうか。それだけ大きなイベントなのだということでもありますが。

ええと、なんの話だっけ。
今回の連載で、俳句甲子園を取り上げるのは、やはりひとつの大きな賞レースだと思うんですよね。
その渦にもすこし迫ってみたいと思います。

◆急遽!松山俳句甲子園本戦、観戦に行きます!
現地でお会いできる方、取材させていただけると嬉しいです!