2017年10月1日

火の一穢映してみづの澄みにけり

これから三十一日間垂れ流される私の、凡そ「独り言」の類は、そうした性質からして、予め応答することを手放している。そうすることで、議論という文飾と快楽に満ちた行為を回避し、解決という手続きから距離を取ることができるからだ。なので、読んで頂ける皆さまには予め失望して頂くほかない。誠に申し訳ない気持ちでいっぱいである。
では、この三十一日間垂れ流される云々に対して、私自身、どのような応答に準ずる方法があるかといえば、AさんからBさんへ、BさんからCさんへといったように、大切に「正確」になされる伝達ではなく、AさんからCさん、Fさん、Xさん…、そしてまた、FさんからAさん、Xさん、Zさんといった乱反射的な伝達において、その過程でぽろぽろといろいろなものが零され、もはや「正確」になされていることさえ怪しい「コミュニケーション」の、「触発」と呼ぶ方が近いその末に、ヘンテコリンな形になってしまった複数の精製物を、別々の地点で改めて手渡されるほかない。