2017年10月5日

葉生姜や川の次第にうるはしく

寺田のエッセイ「自画像」は、「それでさっそく家族に見せて回ると、似ているという者もあり、似ていないというものもあった、無論これはどちらも正しいに相違なかった。」と書くが、私の場合はそもそも「これらは正しいのか?」と考えてしまう。そもそも「正しく書く」ことは可能なのか、「正しく読まれる」ことは可能なのかと立ち止まってしまう。ここでいう「正しさ」は、寺田がこのエッセイの後半部で述べる「科学」とか「遺伝」とかいう形而上学の代替物めいたものや悲しいまでに神話的な働きをもってしまうものと同様の疑わしさにあって、そして遂に、疲れ果てて、呼びかける声だけが残響し続ける。