2017年10月10日

桃を吸ふ口うすら火のやうにあり

「言葉」が実は何も書けないのではないのかという意識、表象不可能なところから「俳句」が走り出しているのではないかという疑惑は、東日本大震災のあとの、次のような雰囲気において、より濃く思われた。
次は『現代思想』2011年7月臨時増刊号の斎藤環による「傷から言葉へ、言葉から傷へ」という論考である。

東日本大震災以降においても、思想や文学の無効がしきりに言われた。しかし心なしか、かつてないほどの強い慨嘆ではなかったように思われる。そこにはツィッター詩人・和合亮一の作詩活動の影響もあるだろう。あるいは今回の震災が、津波や原発事故が続発した複合災害であること、あるいはわが国最初のネットによって媒介された災害、いわばComputer-mediated catastrophe であったこととも無関係ではないだろう。人々はかつてないほど情報、すなわち「言葉」をむさぼり、時に言葉に踊らされた。言葉の中で言葉の無効が、詩と思想の無価値がくりかえし語られたのだ。

こうした雰囲気は俳句にも少なからず影を落としていた。角川『俳句』の2011年5月号「被災地にエールを! 俳人140名が送る「励ましの一句」」という、震災後忙しく組まれた企画を見れば、いくらか顕著だ。