2017年10月15日

霧の中我にしたがふ霧ありぬ

それから十一年後の『沖縄毎日新聞』紙上に、白水居煙波という俳人が「沖縄に於ける俳句」という文章を書いている。子規を意識しながら、「要するに沖縄に俳句界はまだ幼稚で、而も研究の仕方がまづい。熱心の度が足らぬ。隨して文学的価値のある句に乏しい」と書いている。中央俳壇という意識の芽生えがある。
「かはづ鳴いて痴人の戀を醒しけり」、「蓬莱や海とも思う青畳」、「蜩や汐さし残す渚道」といったのが煙波の句である。また、同時期の俳人である末吉麦門冬の句は、「小人も君子も春の日永かな」、「長閑さや大宮人の長尿」、「野遊や八重垣の妻見つけたり」といったもので、「風土」というより「諧謔」を志向している。「風土」を詠むということが、始源から脈々と行われてきたと言えるわけではないようだ。