2017年10月20日

行きしなの瓜のたぐひもそぞろ寒

引き続き、桑江常青の句を読みたい。

夜の爆音テレビの戦場唖となる
かの日怒涛の野の陽炎に聖火が行く
太陽を砕いた泥んこの手を垂れ北爆基地
青空のはて呪詛堆積のベトナムへ行くな
接収地野の対空砲にブリックスはない
病めば旱の麻痺の顔面デモる基地
かの日惨雨慟哭観光地とは「なんじゃらほい」
独楽搏って拒む眼をもつ混血児
ぼんやりと家でてかがむ慰霊の日
清明の紙銭めらめら砲座は閑

いくつか説明が必要な言葉がある。「北爆基地」は、ベトナムの前線へ爆撃機を送る基地のことで、沖縄の基地もその役割を担った。

信号黄色銀河傷つくベトナム戦    木下歩石
指輪が冷え掌にベトナムの穴がある
LSDのんで出て征くベトナムへ   新木光

「接収地」は、戦後の沖縄で米軍によって軍用地を確保すべく、不当な土地の接収が行われた。一九五六年の「島ぐるみ闘争」が沸点。「ブリックス」は、さとうきびなどの糖度を指す単位である。

土地接収に賛否両論猛り鵙     石原草香
春泥や暮れて一村基地となる    新垣多州
基地反対一村梅雨とブルに座す   新木光
仏桑華垣して父祖の地を守る
一寸の土地も渡さじひでり雲
土地料やにじむ世論も秋夜寒む   内間壺影
接収地の歌なき田植泥に這ふ    桑江常青
接収地去る頃蟬の時雨して     石川流水

「デモる」は、「デモをする」ってこと。

デモ冷えて島の余白に穴あける 木下歩石

「混血児」は、米軍と地元女性との間に生まれた子供のことを言い、現在では「アメラジアン」とも言われる。「紙銭」は、清明の際に焚いてあの世に贈るお金を模した紙である。「ウチカビ」と言うのが専らである。

「夜の爆音テレビの戦場唖となる」、「青空のはて呪詛堆積のベトナムへ行くな」、かつての戦場にあって、他の戦場を意識している。「かの日惨雨慟哭観光地とは「なんじゃらほい」」は、観光地化していく土地と記憶との摩擦か。「独楽搏って拒む眼をもつ混血児」からは、「沖縄」という「アイデンティティー」が「沖縄」の中に他者を作って疎外する暴力性を思う。高らかに「アイデンティティー」を叫ぶことにやはり躊躇いを感じる。