2017年10月21日

泳ぎたる疲れにも似て茸山

浦崎楚郷という俳人がいる。一九二五年に生まれ、没年はよくわかっていない。

玉砕地で宴づくいくさおっぱじめるかも知れない
慰霊の日書き称えキナクササ便乘する
しずかに育てる愛戦争体験一語一語
廃油ボールコロコロ島の神話の區切りどき
喪にあけ喪に暮れる沖縄螢ふえてきた
いくさばかりおんぶする琉球日本人の末路
鍵穴浸した爆音啞になった鶏たちといる
いくさの痛みうすらいで家よ土地よと炎天下
戦漬けしたふるさと糸繰り唄口に含み
島の旗日に馴れ喪章のしじま始まる
風飢えて葉の向きそろう阿旦垣
夕東風の汐鳴り阿旦の実をおとす

「玉砕地で宴づくいくさおっぱじめるかも知れない」、「喪にあけ喪に暮れる沖縄螢ふえてきた」、「いくさの痛みうすらいで家よ土地よと炎天下」、「島の旗日に馴れ喪章のしじま始まる」、「戦漬けしたふるさと糸繰り唄口に含み」。時間の経過と共に薄らいでいく痛みや忌日に馴れてしまう有り様を書いている。「いくさばかりおんぶする琉球日本人の末路」の「琉球日本人」という奇妙な造語自体が、「アイデンティティー」をあざ笑っているかのようにさえ思える。「沖縄」自体へ対する批評眼が鋭い。