2017年10月23日

冷やかに事変ののちの日のおもて

新井節子という俳人がいる。一九二一年に生まれ、没年はよくわかっていない。ハンセン病療養所「愛楽園」で生活しており、一九四六年頃から句作を始めたようだ。愛楽園句会は、一九三九年に結成され、戦後は一九五〇年に〈浜木綿句会〉の名前で再結成されている。横山白虹が、度々訪れて指導していたようだ。

  プライス勧告(1956年)
旱つづき人ら隷属にあらがへり
旱天が曝らす従属の風景画
旱天の創なまなまと飛行雲
旱天は青し静かに瞋り研ぐ
旱天や地の聚落に心飢ゑ
若夏の海めぐらして癩の島
荒地野草なぶりて癩者ゆき処なし
草笛やしんじつ胸の愁ひしろく

ハンセン病を患い、隔離されるように園内で生活する人にとっての土地接収に対する意識とは、どのようなものであっただろうか。