2017年11月28日

旅と死の他は花野のあるばかり

1694年11月28日(元禄7年10月12日)、僕らの大事な先生の一人、松尾芭蕉が旅の途中で息を引き取った。心から俳諧と旅を愛し、それに生きた最期だった。

旅いつも雲に抜かれて大花野 岩田奎(第20回俳句甲子園全国大会最優秀賞)

ドラマティックに大きな旅の景が詠まれている句である。私の師も「俳句は足で稼ぐもの」と言う。俳句を詠むなら頭の中で考えるだけでなく、実際にその場所へ足を運んで、本物を見たり、聞いたり、味わったりするべきであると教えられた。旅と俳句の精神は現代にも脈々と受け継がれている。

花に酔へり羽織着て刀さす女 松尾芭蕉『続深川集』

芭蕉の句の中で、私が好きな句である。何とも現代的、漫画やアニメのワンシーンとしても伝わる新しさだ。江戸時代でも現代でも、ギャップは我々を惹きつけてやまない。

水澄めば三十路のポニーテールかな 山岸冬草(『天の川銀河発電所』より)

人は総量よりも変化の度合いに敏感に反応する。「いつもは愛想の無い人が、今日は優しくしてくれた」等、悪い評価だったものが急に良い評価に変わったときに我々はときめいたりする。これは「ゲインロス効果」と呼ばれたりもする。旅もギャップも、ドラマティックでいい。