2013年7月1日

chocolate tart or mud
something dessicating
in my gut

意訳:腸(はらわた)に乾きゆくものトルテか泥か

「haiku-digest」という企画で一か月書かせていただくことになった。ハイフン抜きで「haiku digest」とすればハイクのダイジェスト誌、もしくはハイクの要約みたいな意味になるが、ハイフンを付けることでdigestもう一つの意味である「消化」のニュアンスを出してみたかった。なぜなら、この一か月は英語による食べ物ハイクを消化していただこうと思っているから。

ハイクといっても、狭義の俳句ではなく、俳諧詩である。読者には、広義の俳句(世界俳句)ととっていただいても構わないし、俳句から派生した新しい詩型だと思っていただいても構わない。作者は後者だと思っている。従来の俳句は概念的に有季に対して無季、定型に対して自由律、日本語に対して外国語、という図式が基本となっていて、結局は日本語の有季定型を意識することになる。しかし、ハイクの場合は、「いかなる言語においても切れが活かせるだけ十分に短い詩」という定義であるため、最初から日本語の有季定型の概念的束縛がない。言語によって切れを活かせる長さは様々であるし、切れでイメージを広げるためのキーワードも季語でない場合が多い。

狭義の俳句を外国語に持ち込むとすれば、季語(season word)と定型(fixed form)が必要になるが、高濱虚子の言葉を借りれば、ベートーヴェンを三味線で弾くようなものになってしまう。季語の本意は言語文化圏ごとに異なるし、季語が効果的なキーワードになりえない言語もあるし(日本語の場合、本意の強い季語は間違いなく一句の要となるキーワードである)、五七五は言語によっては長すぎて切れの効果がなくなるし(中国語の五七五には短歌以上の内容が入ってしまう)、日本語のように一行で一句を書ける言語は少ない(印欧語では多行形式にならざるをえない場合が多い)。虚子は外国で俳句を書く場合は有季定型であるべきだとは述べていたものの、彼の文章や主張を詠めば、外国語による有季定型詩は日本語の俳句とは似て非なるものと自覚していたようであるし、その限界もポール・L・ クーシューとの交流などで悟っていたようである。そもそも虚子の俳句の定義は狭いが、虚子は俳諧詩の可能性に気付いていたし、事あるごとに(目的に応じて)俳諧詩の必要性を示唆していた。世界では、俳諧詩派のハイクが有季定型派のハイクを質量ともに凌駕しているが、虚子は予見していたはずである。作者は、ノーベル受賞作家のトランストロンメルなどによる外国語で書かれた有季定型詩をたま読むこともあるが、切れも省略も季語的キーワード性もないそれらの詩があまりにも俳句でないことに閉口するばかりである。

そして、今回の企画では、英語で俳諧詩としてのハイクを作るだけではなく、日本語の意訳を付けてみることにした。英語のできない読者へのサービスではなく、ハイクの翻訳が非常に難しい、いや、実質不可能なものが多いことを証明したいためだ。昔、草間時彦が「外国人に判り易い」と思った自選五十句の英訳をジャック・スタムに頼んだが、十六句しか訳してもらえなかった。「訳をし難い句を捨てたのである」と時彦は書いている。日本語と英語が言語的な差異が大きく、韻律も季語の本意もオノマトペも訳せない上、切れも同じようには訳せない。例えば、小澤實の「ふはふはのふくろふの子のふかれをり」の魅力的な英訳は不可能に近い。というわけで、食べ物ハイクでありながらも、消化(digest)しきれずに消化不良(indigestion)を起こされる読者の方も出てくるかもしれない。

さて、技術的な話。英語ハイクは三行形式がほとんどであるが、掲句もそれに従った。修辞法としては、子音韻(consonance)、母音韻(assonance)、斜韻(slant rhyme)、音節韻(syllabic rhyme)を使ってみた。厳密ではないものもあるが、読者の皆さんは、それらがどこに遣われているかおわかりであろうか。また、最後の言葉にはstomachを使おうと思っていたが結局はgutにした。日本語の「はわらた」と同じニュアンスをもっており、感情表現とつながっている語彙である。

掲句の場合、和訳は比較的順調であった。ニュアンスがgutに近い「はらわた」という語彙が日本語に存在していたからである。あとは、tartを英語・仏語由来の「タルト」にするか独語由来の「トルテ」にするか迷ったくらいである(日本語で五音もとってしまうchocolateは割愛)。「グラス」も「ガラス」も英語ではどちらもglassと書くが、「タルト」も「トルテ」も英語ではどちらもtart。「タルト」にすると「た」の韻とA音の韻に(O音の韻にも)貢献するが、O音の韻を強調できる「トルテ」にした。A音のつながりで始まる句を、「もの」でO音に転じ、「トルテ」と「泥」でしっかりO音をキープできるからである。もちろん、作者がザッハトルテ好きであることも影響している。

「ザッハトルテ」という名称を自家製の独墺風タルト(つまりトルテ)に使ってよいのはホテル・ザッハーと親戚筋の菓子店デメルのみ。名称の使用については、自分にしか権利がないと主張するザッハー側と資金援助の対価として権利を譲渡されたとするデメル側による話し合いが拗れにこじれて七年に及ぶ両者の法廷闘争に至ったのだが、両者が使用できるという玉虫色の判決が出た。それ以来、ホテル・ザッハーのものはオリジナルザッハトルテとして、デメルのものはデメルのザッハトルテとして売られることになった。ザッハーのものはアンズのジャムを内部にも挟んで上部に円形のマークを付けるのに対し、デメルのザッハトルテはジャムを表面のグラサージュ(糖衣)とスポンジ間にだけ塗り上部には三角形のマークを付ける、という違いがある。味は好き好きだが、作者は甲乙付け難いと感じた。どちらもアインシュペナー(ホイップクリームを浮かべたモカコーヒー。日本のウィンナコーヒーよりも美味)と一緒に楽しみたい。

ちなみに、ホテル・ザッハーのカフェの方が雰囲気もサービスも良い。シュニッツェル(大判の薄いカツレツ)やグラーシュ(グヤーシュとも。ハンガリー風シチュー)といった食事もできる。それに対し、デメルの魅力はそこでいただける菫のアイスクリーム(皇妃エリザベートの好物)やそこのショップで買える菫の砂糖漬(絶品!)や猫の舌を模ったチョコレート。パリは高級美食の街だが、ウィーンは庶民的美食の街。100%のさくらんぼジュース、醗酵直前白ワインの炭酸割、ターフェルシュピッツ(ウィーン風ボイルドビーフ)……消化しきれないほど食べ続けてしまう。

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