長き手が薔薇束ねゆく昼下がり   野口る理

曲線を描いていくような句である。フレームの外からすーっとしなやかな手が長い茎に伸びてきて、そのまま眩惑してしまう。「束ねゆく」という動作から「昼下がり」の時間へと転調して、カメラワークがすーっと曲線を書いて流れていく。
艶っぽい。それはひとえに「薔薇」単体の効果ではない。むしろ、「長き手」「薔薇」の細長い形状の親和性と「昼下がり」という眩惑するような空間が、互いにイメージを交換しあっているような、そんな艶っぽさである。
 『しやりり』(ふらんす堂、2013-12)を初めて読んだ時の感想は、一見無垢できらきらした風景のように思えるけれど、「わたし」という意識を通して、哲学的な、語弊を恐れずに言えば〝本質〟を言葉によって授け「ようと」試みる、そんな句集だと思った。

(スピカ「妹よ」2015-5)より。