征服すビーチパラソルの下から   野口る理

 「征服す」ることは、きっと俯瞰することだ。高いところに建てられる城はもちろん、戦において丘の攻防が繰り広げられるし、《銃後といふ不思議な町を丘で見た》(渡邊白泉『渡邊白泉全句集』2005-10)も、戦時における軍人として格別に自らを認識せざるを得ない俯瞰の構図なのだと思う。
 「ビーチパラソルの下から」は、この場合「征服」という言葉と逆を言っているように思う。「ビーチパラソル」も「下から」も、「征服」に対して二回も裏切っている。
例えば、《夏帽や砂といふ砂風に自由》(『しやりり』ふらんす堂、2013-12)は、認識を変えれば「夏帽や砂といふ砂風に従ふ」とも言えたと思うのだ。《小瑠璃飛ぶ選ばなかつた人生に》(前掲)は、そこに作者の名前がほんのり入っている訳だけれど、「小瑠璃飛ぶ選べなかつた人生に」とは決定的に違う。一見、〝本質〟を言い当てているようにも思えるが、それは「わたし」が与えているのである。

(スピカ「炎帝」2015‐8)より。