Tシャツに描かれし蛙怖がれり 江渡華子

子どもの俳句は難しい。可愛くなりすぎても平凡で嫌味、露悪的なものも共感性が低くて惹かれない。となれば、リアルにリアルに、子どもを外から見ている人には書けないような表情を探すのが、母という作者に許されている選択肢の一つだ。

Tシャツの蛙は、きっとそんなにリアルじゃない。ちゃんとコミカライズされて、子どもにウケるように可愛らしく描いてあるはず。でも、その想定された受け取り手である子どもは、その絵を喜ばず、怖がってしまう。子どもは、何を考えているか分からないことがままある。特に、好き、嫌いといった主観的な判断は、まだ社会的な判断基準を知らない分、固有の色が強く読み取りにくい。

そんなちぐはぐな形での、製作者と受け手とのコミュニケーションは、なかなか予想できない。予想できる、想定内の出来事とは、体験せずとも、頭の中で作り上げられる。頭の中で作れるものは、自分を超えない。むしろ、Tシャツの蛙を怖がるような、想定外の出来事こそが、世界のなまなましい手触りがむき出しになった一角であり、リアルそのものなのだ。自分を信じるか、世界を信じるか。俳句とは、後者を選んだ詩ではなかったか。
2016年7月「走り出す」より。