おでん煮る足にヒヤリとこどもの手  江渡華子

おでんという季語が冬であることを、足元の冷えから再確認する。そうそう、冬のキッチンって、足元が寒いんだよなあ。

あたたかい鍋のイメージから、突然、「ヒヤリ」と冷たさが訪れる。それはこどもの手、私の足の高さに手があるのだから、まだまだ小さい(這い這いの段階かも)。おでん鍋の高さと、子どものいる低さ。温度も位置も、句の前半から後半にかけて、ぐらりと下がる、その落差にハッとする。

同時作の〈人に優しく人に優しくと霜を踏む〉も、同じつくり。優しく、優しく、と言い聞かせつつ、霜を踏むという冷たさ苦しさへ、感情がなだれ落ちてゆく。華子は昔から「川」というモチーフを愛しているが、それは、とどめがたい水の流れに響き合う心が、彼女の中にあるからではないか。とどめがたい感情、とどめがたい現在。変化してゆくもの、落ち去ってゆくものを、華子は見つめ、面白がる。

句に戻ろう。おでんを煮ながら考え事でもしていたか、子どもが入ってくるのに気付かなかった。キッチンには危ないものもたくさんある。まずは、おでん鍋。ひっくり返ったら大変。こちらの気持ちも「ヒヤリ」として、いそいそと、子をキッチンの外へ運び出す。

おでんは家族団らんの代表選手なので、つい普遍的な情趣にからめとられがちな季語だが、華子のこの句のように、おでんという季語を通して、育児の日常をこれほど感覚的に瞬間的に詠んだ句は、珍しい。

2016年11月「迎へに」より。