子に教ふあれは瓦礫よ桃の花  江渡華子

子に「あれは何?」と問われて、私が答える言葉が、彼らの認識に組み込まれてゆくことの、責任と恍惚と。私が瓦礫といえば、それが瓦礫になるのだ。子どもという無垢な存在が実現してくれる、言葉が現実に結び付いてゆく幸福な瞬間は、瓦礫という悲惨な現実を前に行われる。あれは瓦礫。あれは桃の花。それ以上のことはきっと教えられないし、もしかしたら、瓦礫だと、桃の花だと教えることも傲慢なのかもしれない。それでも、私は教える。そこから先は、子どもの未来だ。

親が子にできることの外側に、桃の花は咲く。

2017年3月「瓦礫」より。