あの夏の川の流れを止めに行かむ  江渡華子

華子は、日常を繰り返し詠む。だから、現状を素直に肯定するのかと思いきや、華子の詠む句の主体は、折々、川に行ってはもの思う。これまでの句集から、いくつか挙げてみよう。

田水沸く今日は川を見に行く日
初夏の川を見送る暮らしかな
さまよへばぬるきとこある夏の川

日常の中に突然降ってわいてくる、「川を見に行く日」。川を見に行き、ときどき水に足を浸してさまよいつつ、流れてゆく川を見送り、日常へ帰ってくる。彼女にとって、川を見に行く日は、母でも妻でもなんでもなくなる日。人生のエアポケットのような時間、なのだろうか。

さて、この句の「あの夏」とはいつなのか。川の流れをとめることなど、誰にもできない。もっと正確にいえば、川の流れが象徴する「時間」というものは、誰にも止められない。そんなことなど百も承知で、川の流れを止めに行きたいと願う彼女は、とてもわがままで、そしてとても美しい。あの夏の川の流れを止めることができたら、今の、何が、変わるのだろう。わからないけれど、私の心には、今も、あの夏の川が、ずっと流れ続けている。

2016年5月「止めに行かむ」より。