帰りには青梅のある石畳  阪西敦子

行きには別の道を通り、帰りには青梅のなっている石畳の道を通って帰った、というのが現実的な読み。

でも、そこに重なってくる、もうひとつの読み。行きにはなっていなかった青梅が、帰りには、枝いっぱいに満ちているような、不思議な時間間隔を宿した句にも思えてくる。

行きから帰りまでの、一日の短い時間のあいだに、なんだか季節が一気に針を進めたような感じがして、光陰矢の如し、少年老い易く、など、人生の時間がいかに短いことかということを、ふと思い出させてくれる、そんな句。

「週刊俳句」2017年5月21日 作品14句「大きくて軽く」より。