ふらここや神様になるつもりだった  立野夏希

ぶらんこを漕いでいると、何にでもなれるような気がしてくる。もちろん、全能の神様にだって。〈鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女〉も、ぶらんこの浮遊感がもたらす高揚ゆえの大胆な心情吐露だった。「だった」の過去形が、不可能性を決定づけていて、風の中に、諦めの味がする。

神様になれないと知ってからも、私たちは、ぶらんこに座る。

水沢高校の卒業生による小冊子「龍の鱗」(2016.12)より。

岩手県立水沢高校は、約十年前から、俳句甲子園の常連校として、その瑞々しい詩性ゆたかな作品を生み出し続けてきた。一番年長の世代は、卒業からはや十年。俳句から遠ざかった人も、ひとりで俳句を書き続けている人もいる。この冊子には、10~20代の若者たちの、今を生きる俳句が詰まっている。
各作品から一句ずつ引く。

くるこないくる氷柱が伸びている  檜野(安倍)美果子
新雪を荒らしてここは我の国  千田咲
初めての雪触れて溶け長睫毛  作間(津田)志穂里
木犀や夢から醒めし仮眠室  佐藤千晶
部屋中の林檎の香り生きている  須藤(佐藤)結
爪噛んで今夜春を待つ気持ち  羽藤聖美
ほたるほたる乾ききらない髪の上  福井有紗
アヒージョのソース夕焼の色してた  菊池佳奈
露草の舟海までもゆくだろか  塩原拓人
片付かぬ部屋を理由に枯野にいる  及川真梨子
卒業や廊下を歩く我一人  菅原千春
好きなたね底から探すおでんかな  松本(佐藤)友希
ベランダにコガネムシ住む洗濯機  菊池聡子
弟の涙の乾く夏野かな  那須川彩子
初雪を探しているから黙って  山本美星子
黒蟻は影で魂が透明  山本美星子
ふらここや世界の終わりは日曜日  千田彩花
もぞもぞと炬燵の上に首都がたつ  高橋瞳
夕焼けに触れて鉄の街東京  佐藤のど
或る星の空の欠片や犬ふぐり  佐々木槙子
六月のみどりを胸の傷跡に  鎌倉道彦(教員)