花火などなかつたやうな夜空かな  抜井諒一

花火が終わったあとの夜空を、シンプルに詠んだ。
「など」というやや投げやりな言葉が、花火というイベントの、人間によるほんのいっときの戯事にすぎないという、俗で儚い側面を強く際立たせる。さらに「なかつたやうな」と比喩にすることで、かえって、花火があった、そこで花火を確かに仰いだ事実が、在ったこととして心の中に繰り返されるのである。

抜井諒一『真青』(文學の森 2016年)より。伝統俳句協会会員、「群青」同人の第一句集。平明な表現にほがらかな抒情が息づく。

雨よりもゆつくり雪解雫かな
春水に覗かれてゐるやうな気も
更衣して心臓の軽くなる
海老のひげ餅にくつ付く雑煮かな
みな同じ雲を見てゐる黄水仙
近寄りて色のぼやけてしまふ藤
手花火を持たざる人のよく喋る
ゴーグルをかけて秋刀魚を焼いてをり
根深汁出して暗がりへと消える
争へる熊を見てゐる狐かな
セーターを脱ぎて山路の長さかな